近年規模を拡大し続ける葬儀業界、さらに新型コロナの影響もありその需要は増え続けています。今回はキリスト教葬儀のプロフェッショナル、株式会社 輝様に働きへの想いと、葬儀の具体的な事例や準備しておくべきことを教えていただきます。
Ⅰ 株式会社 輝とは?
関東圏のキリスト教葬儀社というと、輝様のお名前がよく上がりますが、貴社の事業は2005年に始まり、今年で17年目になられますよね?
はい。株式会社輝は、キリスト教の葬儀を専門にお手伝いする会社として2005年、さいたま市にて創業しました。以来、輝の働きのエリアは徐々に関東一円へと広げられていきました。その中で、より広くより多くの依頼に対応出来るよう、本社を現在の坂戸市に移転、今に至ります。当初は2名のみであったスタッフは、現在22名。皆が輝の働きに神様の導きを得た、クリスチャンです。
埼玉県に事業所を構えておられますが、具体的にどのエリアまでカバーしておられるのでしょうか?
現在輝の葬儀施行実績は、「埼玉県・東京都」の全域。「神奈川県・千葉県・群馬県・栃木県・茨城県」の一部地域となっています。
輝は、キリスト教葬儀を専門として広域の働きに対応出来るよう備えています。特に「看取られた場所からのご遺体搬送」という緊急性の高い対応については、各地域の業者と協力体制をとっております。
なるほど! 強い協力体制があるからこそ広い地域をカバーできているんですね。そのようにサービス提供の範囲を広げておられる背景にはどういった想いがあるのでしょうか?
輝には、創業以来大切にしている聖書の御言葉があります。ヨハネによる福音書第13章14~15節 「洗足のイエス」のお姿です。
主であり師であるイエスが、自ら弟子たちの足を洗われたお姿。イエスが「真の愛情を以て仕え合う」姿勢として、弟子たちに模範として示されました。これを社員一人ひとりが主なる神様から与えられたものとして、大切に受け取り引き継いでいます。輝の精神は、このイエスのお姿を模範として、遺族と教会に仕えることです。
ただ「人の最期に関わる」というのではなく、「人に仕える」ことを大切にされているのですね。まさに、神様がクリスチャンに求めておられる姿そのものですね。
輝が今日を迎えることが出来ているのは、この会社が神様によってたてられたこと、多くの方の祈りによって支えられ導かれていること、神様から尊い財産を与えられているからこそ、と信じて感謝しています。
Ⅱ 輝のキリスト教葬儀
そもそもの話になるのですが……。一般的に行われている葬儀とキリスト教式の葬儀、手順や方法、考え方が違うと思うのですが、具体的にどんな違いがあるのか教えていただけますか。
一番大きな違いは「目的」だと思います。
キリスト教葬儀には、大切な目的があります。第一に「主なる神様を礼拝する」ことです。この世界の創造主である神様は、命を創造した神様です。一人の人間の死を通して、その者の命の創造主でもある神様に目を向けます。第二に「遺族の慰めを祈る」ことです。死んでいった者の魂を主なる神様に委ねて、故人の死によって悲しむ遺族に慰めがあるように祈ります。第三に「参列者が葬儀の礼拝を通して自分自身の人生と死について考えるきっかけを得る」ことです。参列する一人ひとりが神様に目を向け、神様の眼差しが自らに向けられていることを知る尊い時です。
キリスト教葬儀は死者の魂を祀ることを目的とした死者崇拝では無く、命を創造しその者の人生を守り導きその魂を召してくださる神様を礼拝する時なのです。
葬儀は礼拝、悲しみだけで終わるのではなく神様にある希望と喜びを知る場、ということですね。
キリスト教葬儀は、「祈り」「賛美」「聖書朗読」「説教」……と司式者が定めた式次第によって進行します。教会が毎週日曜日にお捧げしている主日礼拝と同じように、神様への礼拝です。葬儀においては、在りし日の故人と神様の関係をより明らかに知るため、そこに証しされる福音をより深く味わうことを目的に、遺族への慰めとなることを願いつつ、参列者によって語られる思い出・葬儀の場によせられた電報の紹介が添えられることもあります。
故人を偲びつつ、心は神様に向ける。葬儀を通して神様を知らない人にも福音を伝えられる、素晴らしい伝道の機会ですね。
Ⅲ 葬儀の備え
ここまでキリスト教葬儀の特徴についてお聞きしてきましたが、これまでの輝様のお働きの経験から、今生きている私たちが、先のために準備できることや意識しておくべきことを具体的に教えていただけますか。
「私の葬儀には、柩の上に赤いバラ一輪が置かれていれば良い」。とある教会の葬儀にて、故人が自らの希望として遺した言葉です。「葬儀屋さんにこんなお願いで申し訳ないですが」……と故人の息子さん夫婦がこちらを気遣いながら故人の遺言を聞かせてくださいました。バラを愛し育て、豊かに咲かせることを趣味とした故人でした。そして何よりも、キリスト教葬儀は「神を礼拝する」場であり、神様を賛美することを第一とする敬虔な信仰者でした。
教会は広く立派な礼拝堂でしたが、華美に飾ることをせず神様への礼拝を第一とする故人の思いに寄り添い、私たちはこの葬儀の景色を実現したいと思いました。故人を送る遺族の気持ちとして、本当に若干の生花を加えて飾りましたが、柩の上にある一輪の赤いバラこそが映えるように飾りつけをいたしました。故人を知る信仰の友人方々が柩に歩み寄り、この景色をご覧になっては、「ああ(故人が)言っていた通りだ。感謝します。」とおっしゃっておられました。この赤いバラは、出棺の際に故人の幼いひ孫さんの手で、故人の胸元に飾られました。
神様を第一にし続けた「その方らしさ」が表れた、すてきな葬儀だったんですね。
はい。ただ、「キリスト教葬儀の祭壇」と聞いて具体的にイメージできる方は少ないと思います。仏式の祭壇は、立派な白木の祭壇が組まれ、その祭壇の決められた位置に仏具を、祭壇の両側に送られた供物・生花が飾られます。一方、キリスト教葬儀では、教会の決められた場所に柩を安置し、その柩の周りを生花で飾ります。葬儀に込められる思いによって飾り方が決まっている教会もありますが、生花の色合いや種類はご遺族の希望に寄り添われます。
ご紹介したエピソードの様に、故人が生前に「自分の葬儀の時は……」と、希望の花の種類や飾り方を家族に伝えているケース、または、遺族が打合せの場で故人の好まれたバラやトルコ桔梗を入れてほしいと希望なさるケース……。いずれであっても、葬儀の打合せの中で、愛する人を心の中に思い浮かべながら、哀しみのただ中にあっても「故人その人らしいお花を選びたい」とお決めになります。
清楚な生き様を心掛けた故人を思って「白い色の花でいっぱいに」……フラダンスを趣味としていた故人を思って「常夏の国をイメージして」……遺族となった方々は、故人から受けた愛情、共に過ごした思い出を振り返り、思いを馳せながら飾る生花をお考えになります。「召された故人、その人らしさ」という思いが生花に込められます。
かける金額や見栄えではなく、故人が一番大切にしていたものを表現することが、生花の役割なのですね。
そうです。葬儀礼拝の後、家族・親族・参列者皆様で、生花祭壇から綺麗に切り出した生花で柩の中を飾ります。生花を飾りながら、故人との地上における最後のお別れをします。故人が長年住み親しんだ自宅の庭に、毎年咲く数種類のお花を束にして、柩の中にそっと添えられたご家族もおられました。
美しい生花に飾られた柩を見て、故人の魂は神様の御許に在って平安……と慰めを得る。故人を神様に委ねること、やがては神様の御前にあって再会の希望があることに思いを馳せる。キリスト教葬儀における生花には、そのような思いが込められていると感じます。
とてもすてきなお話です、ありがとうございます。他にも具体例をお聞きさせていただけますか。
はい。では『凱旋への備え』についてお話したいと思います。
「自分の葬儀はキリスト教で行うことを希望する」、信仰者として、自分の葬儀は神への礼拝の時としてほしい。その思いを遺し伝えておくことは大切です。
葬儀では自らの人生に神様がどのように関わってくださったか、恵みがいかに豊かであったかが語られます。葬儀で語られることの道しるべとして、神様との絆を深めた「聖書の御言葉」、支えとなった「愛唱賛美歌」、それにまつわるエピソードが本人の手記によって遺されていたとしたら……遺族にとってどんなに深い慰めでしょう。
実際、丁寧に書き記されたそれは、葬儀の場で語られる言葉を豊かにし、活きた証しとして一人ひとりの参列者に届きます。
確かに遺族側としても何式で葬儀行うのか、希望を聞いているだけでも故人の想いを汲み取りやすくなりますね。
難しい準備があるわけでもないですから、まずは家族や友人同士、話をすることから生前準備を始めてみるのが良いかもしれませんね。ありがとうございました。
生活様式の変化に伴い、生き方や死生観をあらためて問われている昨今。
自身の死後について今すぐ考えるのはなかなか難しいことではありますが、「私にとって一番大切なことは?」「何を第一に生きていくのか?」といった、アイデンティティのような部分を見つめなおすことなら、今を生きる私たちにもできるはず。
私もこの記事の掲載を、自身と向き合う機会にしていきたいと思いました。
さらに詳しく生前準備について知りたい方はこちらから。
株式会社
輝 (キリスト教専門葬儀社)
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