ハンガーゼロとは?
ハンガーゼロ(一般財団法人 日本国際飢餓対策機構)は、1981年設立以来、イエス・キリストの精神に基づいて世界の貧困・飢餓問題の解決のために、国際飢餓対策機構連合(Food for the Hungry International Federation)の一員として、18ヶ国60以上の協力団体とともに、アジア、アフリカ、中南米の開発途上国で働いています。
世界の飢餓と貧困の現状を伝える講演や巡回の働き、また、助けが必要な国・地域の人々の自立支援への具体的な働きをしているハンガーゼロ。
ハンガーゼロが2つのWebセミナー「この町に教会があってよかった!」「全人的成長を目指して~少年イエスの成長をモデルとして」を開催しているということを聞きました。
なぜハンガーゼロが教会向け・信徒向けのセミナーをしているのか、講師の田村治郎先生に聞いてみました。
ハンガーゼロ(一般財団法人 日本国際飢餓対策機構)は、1981年設立以来、イエス・キリストの精神に基づいて世界の貧困・飢餓問題の解決のために、国際飢餓対策機構連合(Food for the Hungry International Federation)の一員として、18ヶ国60以上の協力団体とともに、アジア、アフリカ、中南米の開発途上国で働いています。
創立理念よりこの働きを宣教の働きと位置付け、宣教の両輪である「御言葉の伝道」と「愛のわざ」の、特に「愛のわざ」の働きとして宣教の主体である教会から延ばされた手足として日本の諸教会に仕え、善き隣人となって人々と共に生きる社会の実現を、私たちハンガーゼロは目指しています。それは、飢餓と貧困と戦う誰もが、等しくこの天地を造られた創造主の神のかたちに似せて創造された、神の作品であるゆえに、神の御心を知りそれに生きることができるようにと、主の「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)と語られる主の愛への応答・神礼拝としての働きです。
VOC(Vision of Community)共同体のビジョンの実践という理念をFood for the Hungry International Federation(国際飢餓対策機構連合)全体の理念として掲げています。それは、「私たちは、貧しく生まれたので、貧しく死んでいく」という人々が持つ①その考え方から解放され、②神様が、どのような地域をそこに築き上げられることを望んでおられるかを求め、③そのビジョンに向かって、神様から預かった地域で、神様からいただいた資源を用い、神様からいただいたキャパシティを用いて、自らの地域を自分たちのできることから開発していく、④そして外部者は、彼らがその道に歩めるように助け、必要な時にアドバイスし、必要な知識、技術について学んでいただくこと。そして、VOCはコミュニティにおける「神の国」の前進です。
このVOCを日本の宣教へどう当てはめていくことができるか、全国の諸教会を訪問させていただく中で感じた大きなテーマでした。
教会に子どもたちや中高生たち、若者が少ない現実は、クリスチャンホームのみならず、世代間の信仰継承がなされていないことが大きな要因と感じ、このVOCの考え方を日本の教会の宣教の働きのお役に立てないだろうかと、祈り考えていました。
そのような中で、新型コロナウイルス感染症の影響で、巡回に行く・出ていく仕事ができなくなった。途方に暮れ、祈っているときに「行けないのであれば、来ていただこう」という発想に導かれました。
Zoomを用い、先に始めたのは、VOCセミナー「この町に教会があってよかった!」。9回目で延べ150名の参加者。定員は原則として10名。しかし、1教会から、10名、20名と参加くださって、多い時は、50名の参加が集まることもあります。
北海道から沖縄まで、海外からの参加者もいらっしゃる。
ベースは、VOCとWholistic ministry(全人宣教)。
Wholistic ministry(全人宣教)は、人の霊的な必要だけでなく、肉体的・精神的・社会的必要に、みことばの伝道と愛のわざ(貧困や飢餓、搾取、人権の蹂躙〈じゅうりん〉、正義と平和など様々な社会的課題への働きかけ)を通して応答する宣教の働きと理解しています。
イエス・キリストの宣教の歩みを見ると、町々で神の国について語り(霊的なメッセージ)、喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣き(精神的に)、ともに寄り添われました。病む者を癒された(肉体的な癒し)。それだけでなく、「祭司に見せなさい」(ルカの福音書17:14参照)と言われ、社会への復帰の道筋を備えられました。主が弟子たちに、そして私たちに委ねられた福音はそのような全人的・包括的なものではないでしょうか。
奈良の教会開拓の際、信徒の方と「どんな教会を建てようか」と考えた結果、このように言われる教会を建てたいという思いが与えられました。
「この町に教会があってよかった」と呼ばれる教会になろうという思いでした。
30年前の当時、今のようにインターネットやSNSでの宣教のPRはできず、地道なトラクト配布を、毎日毎日行った。人口5万人の小さな町。その全戸には2度や3度配布していたと思います。
ある日の夕方、最寄りの駅で帰宅する人々に、「この近くに教会があると聞いたのですが、どこにあるかご存じですか?」と聞いてみたが、誰一人として知ってはいませんでした。
当時教会はテナントビルの2階にあり、1階はパン屋さんだったが、そのパン屋さんは、聞く人全員知っていました。それにもかかわらず、その2階に看板を出している教会のことは誰も知りませんでした。いろいろやった自負はありました。
しかし、結局地域の人々の日常で直面する課題・ニーズは全く無視して、こちらが伝えたいことだけを町の人々に伝えているだけではないかと悟りました。
福音やイエス・キリストの十字架の贖いは「究極的な人の必要」ではありますが、
人々は毎日をそのような究極的なニーズを意識して過ごしているわけでなく、健康のことや経済的なこと。また子育てや老後のこと日々直面する課題・ニーズの回答を求めているのに、それを吹っ飛ばして究極的なニーズへの答えだけを伝えていては「教会はわたしには関係ない」存在でしかないとわかってきました。
そのような時に、聖書通読で出エジプト2~3章を読みました。
エジプトの苦役の中で、神様は民の「うめき」を聞きました。
地域にある「うめき」は何だろうかと思いました。
牧師としてできること…続きはセミナーで。
「この町に教会があってよかった」と呼ばれる教会は、建物のことではない。言い換えれば、「この町にあなたがいてくれてよかった」ということなのではないか?そんなクリスチャンの育成が必要ではないかとの思いで始めました。
前述の信仰継承がされていない課題について、どうしたらいいのかにも触れています。
人の育成焦点を当てていく必要があります。現地での経験や先生の失敗談を織り交ぜながら、人財育成のセミナーをしています。
hi-b.a.や開拓でのみことばを教えることの課題は、聖書を知識として伝えていましたが、子供たちの生きる力となっていなかったこと。困難を乗り越える力となるべきなのに、伝えられませんでした。
教会から離れる人の中には、「教会を卒業します」という人がいます。
その人にとっては、小学生の時は必要だけれども、大人になると必要のない場所、となっています。そうとしか伝わっていませんでした。
ハンガーゼロの働きをしていると、海外で困難にある人に多く出会います。
ケニアにあるコイノニア教育センターでは、スラムにいる子供たちに教育をしています。
親からもとても酷い扱いを受けている子供たち。施設のモットーは「それでも人生にYesと言おう」。自分の状況を見ると、人生を肯定することも難しいかもしれません。神の視点で自分を見て、神のかたちとして造られて、使命を与えられている。そのことを教えて初めて自分の尊厳や尊さを知ることができます。聖書の価値観を伝え、つらい人生の中でも自分を肯定できるようにとしています。
日本の子供たちも、いろんな問題を抱え、生きづらさを感じています。
質は違うかもしれないけれども、日本の子供たちも同じ苦しみを抱えています。
知識だけだと、戸惑ってしまいます。
生きる力となっていたら、人生を切り開くことができる…続きはセミナーで。
セミナーの度に参加者の方から教えられ、セミナーも成長しています。
始めた当初は3回でしたが、今は5回で1つのセットとなっており、内容が新しくなるので、リピーターとなる参加者も多いです。
「教会」「人財育成」というテーマで教派を超えてクリスチャン同士の交わりができることもこのセミナーの恵みです。
立場など関係なく、関心があるどなたでも参加可能です。