更新日:2024/11/20

日本キリスト教会 = 日キ教会

住所〒350-0807
埼玉県 川越市 吉田2-2
MAP
ジャンル 教団
TEL049-233-5542
FAX049-233-7039
創立1951年
特色我らが主と崇むる神の独子イエス・キリストは、真の神にして真の人、永遠なる神の経綸に従ひ、人となりて人類の罪のため十字架にかかり、全き犠牲をささげて贖ひを成就し、復活して永遠の生命の保証をあたへ、救ひの完うせらるる日まで我らのために執成し給ふ。おほよそ神の選びを受け、この救ひの御業を信じる者は、キリストに在りて義と認められ、功なくして罪の赦しを得、神の子とせらるる。また父と子とともに崇められ礼拝せられる聖霊は、信ずる者を聖化し、御意を行はしむ。この三位一体なる神の恩恵によるにあらざれば、罪に死にたる人、神の国に入ることを得ず。新旧約聖書は神の言にして、そのうちに語り給う聖霊は、イエス・キリストを顕示し、信仰と生活との誤りなき審判者なり。教会はキリストの体、神の召されたる世々の聖徒の交わりにして、主の委託により正しく御言葉を宣べ伝へ、聖礼典を行ひ信徒を訓練し、終りの日に備へつつ主の来り給うを待ち望む。いにしへの教会は聖書に依りて左の告白文を作れり。我らもまた使徒的信仰の伝統に従ひ、讃美と感謝とを以てこれを共に告白す。 我は、天地の創造主、全能の父なる神を信ず。我は、その独子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は、聖霊によりてみごもられ、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦難を受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちより復活し、天にのぼり、全能の父なる神の右に坐し給ふ。かしこより来りて、生ける者と死にたつ者とを審き給はん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交り、罪の赦し、体の復活、永遠の生命を信ず。アーメン。
日本基督教団内の旧日本基督教会関係の教会の中には、かねてから教団の進みつつある方向と実情とに同調し得ないとするものがあったが、1951年(昭和26)1月、大森教会が教団離脱を決議したのをはじめとし、順次に教団離脱を決行するものが起ることとなった。 そして1951年4月3日には、札幌北一条教会において14教会による北海道中会の建設を見、同8日には鶴見教会において7教会による東京中会、25日には大阪北教会において11教会による近畿中会の建設を見た。 そこで同5月23日、上記3中会は、その後教団を離脱した教会も加え、大森教会において創立大会を開催し、日本基督教会新生の第一歩を踏み出した。その参加教会は、北海道中会16教会、東京中会8教会、近畿中会15教会、合計39教会であった。初代の大会議長として佐波亘を、大会書記として堀内友四郎を選挙した。更に、その後も引続いて教団を離脱して日本基督教会に加入する教会は、約30に及んだ。1953年(昭和28)5月31日には、福岡城南教会において、九州中会の建設をも見るに至った。 また1953年10月、柏木教会で開催した第3回大会において信仰の告白と憲法・規則を制定し、後年、さらに二つの(大・小)信仰問答(草案)を作成した。また、1954年10月、西宮中央教会で開催した第4回大会において1955年(昭和30)4月から日本基督教会立の神学校を新発足することを決議、大森教会を仮校舎として開校した。1958年(昭和33)4月には新しく入手した東京都世田谷区弦巻の校舎で授業を始め、大会事務所も同所に移った。なお1956年(昭和31)10月、柏木教会で開催した第6回大会において世界改革教会連盟に加入することを決議し、1957年(昭和32)その加入が正式に承認された。また1967年(昭和42)10月、柏木教会で開催した第17回大会で靖国神社国家護持に反対する決議をして以来、この問題と継続的にかかわり続けて来ている。また、1983年第33回大会において、「教会と国家」に関する指針を作成し、この問題に対する告白的な方向づけを明確にした。また1990年第40回大会において「韓国、朝鮮の教会に対し行った神社参拝強要についての罪の告白と謝罪」を決議した。大会伝道局の働きとして今日までに名古屋、釧路、仙台、郡山、静岡、広島、長崎、沖縄に開拓伝道がなされ着実に成果を見つつある。創立40周年を機に信仰告白憲法規則の全面的な改訂に着手し、1995年10月の第45回大会で改正案が可決された。
代表者・スタッフなど冨永 憲司(大会議長)
芳賀 繁浩
WEBサイトhttp://www.nikki-church.org/

戻る

PAGE TOP