更新日:2024/11/22

日本バプテスト連盟 = バプ連盟

住所〒336-0017
埼玉県 さいたま市南区 南浦和1-2-4
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ジャンル 教団
TEL048-883-1091
FAX048-883-1092
創立1947年
特色聖書の重視(聖書は、歴史的に発展した教理や信条などを測る基準であり、聖霊の導きによる自由な聖書の読み方を重んじます。よって固定化した教理や信条、あるいは教憲教規などを持ちません。)・キリスト中心(教会と説教・礼典等、キリストを指し示すものが、指し示されるお方の上位にくることは認めません。)・信仰者バプテスマ(幼児洗礼を避け、彼、彼女らが成長し、自らの応答が可能となることを祈り、待つことを選択します。そして新約聖書にある自覚的信仰者の契約共同体を目指します。)・浸水の尊重(聖書に元来あるバプテスマの形式であり、キリストと共に死んで、葬られ、共に復活にあずかることを良く象徴しうる、浸礼を尊重します。)・万民祭司と民主的な教会運営(福音宣教の使命は教会を形成するクリスチャン一人ひとりによって担われます。その際各自の召命、賜物、職務は異なりますが、その違いは身分的な上下関係や区別ではありません。・各個教会主義(各個教会の会衆が自主独立の主体であって、各個教会間のいかなる支配関係も認めません。また真に自立した教会として、協力伝道のための自由で対等な連帯を喜びます。)・政教分離の原則(宗教と政治の混同、教会と国の癒着は人権を抑圧し、批判を許さぬ国家権力の神聖化と教会の世俗権力化をもたらします。しかしこの原則は信仰者の政治への無関心や無関係を意味しません。かえって国が人間の思想、良心及び信教の自由に介入し、人権の抑圧をする時には、教会は御言葉に根ざしてこれと闘います。)
1889年、米国南部バプテスト連盟外国伝道局(現・国際伝道局)よりマッコーラム、ブランソン2組の宣教師が来日した。翌年大阪に最初の南部バプテスト系教会を結成したが、1891年、アメリカン・バプテスト・ミッション(北部連盟)との協定により、九州を伝道地とすることになり、福岡県若松(現・北九州市)に移動した。その後門司、福岡、熊本等に伝道地を広げ、1903年、教会数7、信徒数約100名をもって日本浸礼教会西南部会(後の「西部組合」)を結成した。1907年、福岡神学校を開設するなど、主として西日本に伝道、教育、社会事業をすすめた。宗教団体法が施行されたことを契機に1940年、日本バプテスト東部組合(現・日本バプテスト同盟)と合同し、日本バプテスト基督教団となった。その時の西部系教会・伝道所数25、教会員約2500名。しかし各教会は翌1941年に日本基督教団に加入、その第4部となる。敗戦後1947年4月3日、福岡において西部系16教会をもって「日本バプテスト連盟」を組織した。この16教会の教団離脱理由は伝道方策、教会政治、礼典観の相違によるものであるという。以来、米国より宣教師が多数来日し、第1次・第2次プリーチング・ミッション等全国的な大規模伝道活動を展開した。1951年東京渋谷区神山町に連盟事務所を移転し、「全日本にキリストの光を」のスローガンを掲げ、まず県庁所在地に開拓伝道をし、次に周辺都市に広げるとの戦略を採った。また第1次・第2次躍進5ヵ年運動、新生運動(1963年)等を行い、1965年にはブラジルへ宣教師を派遣した。靖国神社問題、日韓・在日連帯、公害問題、部落問題、「障害」者と教会、性差別問題、ホームレス支援の特別委員会を設置しており、それぞれの課題に取り組んでいる。1970年第12回世界バプテスト大会が東京で開催されたが、この頃、教会闘争が起こり、神学校や各個教会に大きな影響を与えた。1988年、「戦争責任に関する信仰宣言」を採択、1989年には天皇死去に伴う大嘗祭反対運動を行った。1997年連盟結成50周年記念大会を横浜にて開催。2002年、「平和に関する信仰的宣言」を採択した。2005年、セクシュアル・ハラスメント防止・相談委員会を設置。
代表者・スタッフなど田口 昭典(理事長)
中條 智子
WEBサイトhttp://www.bapren.jp/

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