更新日:2024/11/20

日本メノナイト・キリスト教会会議 = メノナイト教会会議

住所〒889-2151
宮崎県 宮崎市 熊野10423-2 宮崎南教会内
MAP
ジャンル 教団
法人名宗教法人日本メノナイト・キリスト教会会議
TEL/FAX0985-71-4652
E-Mailjmennonitecc@gmail.com
創立1956年
特色第一に聖書主義である。聖書が最終的な権威であり、国家の権威や権力を利用し癒着することなく、クリスチャンの信仰と生活に関し聖書にすべての解決の基盤を置く。 第二に、自覚的な信仰である。キリスト者として自覚的な信仰を持たない幼児の洗礼を認めない。洗礼を受けたからクリスチャンになるのではなく、クリスチャンになったから洗礼を受けるとの原則に立つ。故に幼児洗礼を受けた者は教会員とみなす国教会制度に反対した。 第三にキリストの弟子としての生き方である。我々クリスチャンは、キリストの弟子であることを望み、日々の生活の中でキリストを模範として、それを実践する。なぜなら、「イエスは主である」と告白するからである。 第四に、平和主義である。暴力や権威主義、平和のための戦争も否定し、無抵抗主義の道を選択する。キリストの愛の戒めに従う者だからである。
沿革(800字まで)日本メノナイト・キリスト教会会議の歴史は、16世紀の宗教改革時代に遡ります。当時、ルターやツウィングリの聖書原理に傾倒し、改革の熱意に燃えていた代表的人物であるスイス、チューリヒのグレーベルとマンツによって、メノナイトの改革運動が始まった。彼らはツウィングリを師と仰ぎ改革運動を推進していたが、ツウィングリが国教会制度を取り入れたために、1525年にツウィングリと袂を分かつことになった。彼らは、国教会制度と結びついた幼児洗礼を拒絶し、自らが自覚する成人洗礼を主張し、改めて洗礼を受け直した。彼らは自分達の群れをスイス兄弟団と呼んだが、国家に追随する反対者達からは、皮肉を込めてアナバプテスト=再洗礼派と呼ばれた。 メノナイトと言う名称は、1536年にオランダのアナバプテストの群れを統一した最も優れた指導者であったメノ・シモンズの名前から来たものである。オランダと北ドイツのメノナイトの群れは、信仰の自由と兵役免除を求めて、17世紀から19世紀初頭にかけて、プロシヤ、ウクライナ、ロシヤへ、そして多くのメノナイトの人々がアメリカ西部、カナダ、ブラジル、パラグワイへと移住して行った。 日本メノナイト・キリスト教会会議はこの流れを受け継いでいる。1950年中国で伝道していたアメリカ人宣教師ウイリアム・ボスが、中国伝道が閉鎖されたために、アメリカへの帰途、日本に立ち寄り、宣教地として調査し、宮崎県に教会を設立することを決定した。 1951年、日本語を勉強していた宣教師によって神戸教会が誕生し、その後、九州の宮崎県に伝道の拠点が置かれ、1964年までに7つの教会、福音書店、幼稚園が設立された。1976年までは宮崎県を中心に伝道していたが、この年に、日本メノナイト・キリスト教会会議と名称を変更し、福岡県に伝道を開始し、1978年に大分県に、1979年に広島県に教会を設立した。現在は、13の教会が存在する。
代表者・スタッフなど木田 博文(議長・代表役員)
浅野 謙(副議長・責任役員)、佐々木 淳二(書記・責任役員)、佐藤 省三(法人主事)、中村 文則(監事)、矢野 みつ子(監事)、黒木 今朝次(監事)、桑原 春樹(責任役員)、蓑部 強(責任役員)
WEBサイトhttp://mennonite.jpn.org/

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