更新日:2024/11/20

美濃ミッション = 美濃ミッション

住所〒510-8008
三重県 四日市市 富田浜町10-4
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ジャンル 教団
TEL059-365-0096
FAX059-365-9399
創立1918年
特色旧新約聖書の逐語霊感、原典における無謬、信仰と生活の最高かつ決定的権威。父と子と聖霊の三格をもち、永遠に実在される唯一の真の神。神による天地創造、アダムの罪による全人類の霊的死、神の救いなしには永遠に絶望的状態。御子なる神の処女降誕による受肉、神性・人性の二性具備。罪人を救う為の十字架の身代わりの死。肉体をもって復活、昇天、今我らの為に執成し、千年期前再臨。人間の行為によらず、信仰により主イエス・キリストを救い主として受け入れる者はその血に基づき罪の赦しを得、聖霊によって生まれた神の子とされ、永遠に救われること。聖霊なる神は真の信者に内住され、証言の為と勝利の生活の為に能力を与えられること。悪魔は主イエス・キリストによって審判され、救いを拒んだ凡ての人も悪魔と共に永遠の刑罰を受ける。真の信者は凡ての人に福音を伝える義務があること。また偶像礼拝とは明確に関係を絶つべきこと。
1918年、米人宣教師セデー・リー・ワイドナー女史によって創設。ワイドナー師は1900年に来日、仙台市でキリスト教宮城女学校の副校長・校長を歴任、1913年に辞職して帰国。それは独立宣教師として再度来日の準備をするため。 1918年、再来日、当時最も伝道困難と言われた大垣市へ来て、まず日曜学校を開く。今まで何もしなかった仏教寺院が一斉に日曜学校を始めたために、ワイドナー師は幼稚園を開設。 1930年には宣教師3、日本人教役者16、信徒数138、教会6、伝道所6、聖書学校もあったので「美濃ミッション設立願」を提出。 当時、主人に先立たれ、息子二人を育てながら聖書学校で学ぶ婦人がいた。1933年、長男が小学6年生の時、修学旅行の伊勢神宮参拝を断った為に新聞・ラジオで報道され、市民騒動の形で美濃ミッションは迫害された。「国体擁護のため美濃ミッションを排撃しませう」と色刷したポスター(現物保存)が市内至る所に貼りだされた。この時、3年前に提出してあった設立許可願が却下され、園児の親たちに退園届を出させて幼稚園を閉鎖に追い込み、ミッション関係3児童を停学(意地悪な登校停止)処分とした。(3人は主の憐れみにより他校で教育終了)。 1939年、ワイドナー師が脳内出血で倒れ、帰国途上、船中より召天。1940年~1946年まで伝道中断。しかしこの間、フイウエル師が米国内で戦時抑留者収容所を巡回、日本語で聖書研究を導く。 1946年、フイウエル師は中部日本復帰宣教師第一号として来日、美濃ミッションを再建、1953年には新宗教法人法の認可を取得。 1990年8月、フイウエル師は召天、石黒次夫が主管者に就任。1992年「神社参拝拒否事件記録復刻版」を出版。1994年に伝道新聞「聖書の光」を復刊。1995年には聖書学校を再開したが現在休校中。2006年2月石黒イサクが教団代表に選出された。
代表者・スタッフなど石黒 イサク(代表)
田中 孝一
WEBサイトhttp://www.cty-net.ne.jp/~mmi/

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